- Q1. なぜ大名行列を始めたのか
- 延文2年(1357年)に始められた当初は、神輿渡御(みこしとぎょ)と言って、お神輿だけのものでした。
今のような形の大名行列になったのは、文政5年(1822年)に三条の領主、村上藩主内藤信敦が京都所司代に就任したのを祝って始められたものと言われています。
- Q2. 行列の順番はどうやって決めたのか
- 個々の道具の役割を見ながら行列の順番を解説すると、大まかに次のようになります。
鉄棒は、音を出してこれから行列が来ることを知らしめます。
露払(つゆはらい)は、露で濡れた草花などで神職(しんしょく)や神様が濡れないように先導します。
奴は先供(さきとも)と呼ばれ、大名行列の先頭に立って歩きます。また、出発時には悪魔切りという儀式を行い道中の災いをはらう役目を担っています。
天狗様は導祖神(どうそじん)と呼ばれ、神輿に乗った八幡宮の神様を先導する役目を担っています。
神輿の前には、八幡宮の神様が来ることを知らせる応神鉾(おうじんぼこ)があり、また四方を守る四神旗(しじんき)陽光や風雨等から神輿を守る御差羽(おさしは)などが神輿の周りを固めます。
そして行列の最後尾には、当時の村上藩10万石を表す10本の押槍(おしやり)が並びます。
(1石は1,000合。よって1石は1人が1年間食べる米の量に相当する。10万石は10万人を1年間養うことが出来る規模)
- Q3. なぜ三条祭りは5月15日になったのか
- 三条に八幡宮が創建されたのが仁和元年(885年)3月15日。場所は大崎でした。その後、慶長4年(1599年)に現在の場所へ遷宮されました。当時は春の大祭は、八幡宮の誕生日である3月15日に開催されていましたが、明治5年にそれまでの太陰暦が太陽暦に変わりました。旧暦の3月15日では、毎年日にちが動いてしまい、忘れられてしまうとの恐れもあり、明治7年からは現在の5月15日に変更・固定されました。
- Q4. 何故天狗が転ぶと火事になると云われているのか
- 神輿には八幡宮の神様が乗っており、それを先導する天狗(導祖神)もまた神様です。天狗は、後ろに続く八幡宮の神様の妨げにならないように、悪魔や邪気を祓いながら進みます。そんな神様である天狗が転ぶということは、その場所にそれだけ強い邪気があったということになり、その場所のあたりで悪いことが起こる=火事になるという言い伝えが今も残っているものと思われます。
三条祭りの大名行列は、このように神様の行列なので、「天狗が転ぶと火事になる」以外にも、「行列出発時に太鼓橋を渡ってはならない」「行列を横切ってはならない」「行列を上から見下ろしてはならない」といった決まりごとがあります。皆さんも大名行列を観覧する際は、この点に気を付けて見てください。
- Q5. 大名行列の正式な人数は何人か
- 先供12、導祖3名以上、囃子方10名以上、その他の行列道具192名、神職総代数名、傘鉾数基の合計220名以上+数基が最低限必要です。但し、これらの数字には交代要員が含まれていません。八幡宮から諏訪神社までは距離も長いため、交代要員が必要になります。平成20年度の行列では、先供36、導祖神22、囃子方34、その他の行列道具266、神職総代25、傘鉾11基の合計383名+11基の行列となりました。
- Q6. 大名行列で使う道具は普段はどこにあるのか
- 大名行列で使う道具は、三条祭り以外の時期は八幡宮の蔵の中に保管されています(一部の道具は拝殿の中)。1つ1つの道具はパーツ毎に分解され、箱に入れて保管されます。祭りが近づくと、近所の大工さんなどが道具を蔵から出し、パーツを組み合わせて道具を組み立てます。
- Q7. 屋台は三条祭りが始まった時からあったのか
- 三条祭りの「屋台」は、正式には「八幡宮春季大祭臨時露店市場」と言い、三条のまちで普段から開催されている、2と7の付く日に行なわれる2、7市と、5と10の付く日に行なわれる5、10市といった定期市の、“臨時”市場として、三条祭り、東別院のお取越に合わせて行なわれています。三条の定期市について現在わかっている最も古い記録によれば、永徳2年(1382年)にはすでに定期市があったとされ、三条祭りが始まった当初から臨時露店市場(屋台)があったと考えられますが、残念ながら、はっきりしたことは解りません。
なお、現在の三条祭りの露店市場には、市内ばかりでなく、市外や県外からも多くの露店商の方が集ってきます。
- Q8. 八幡様で行う理由
- 三条祭りの正式名称は「三条八幡宮春季例大祭」です。八幡宮は、三条の地を守護する産土神(うぶすなのかみ)として地元の方々の信仰を集めていました。
そこで、正月には1年の無病息災をお祈りするために初詣をし、5月には農作物の豊作を願って春季大祭を行い、9月には農作物の収穫を祝って秋季大祭を行います。
- Q9. 三条祭りをやるためにどのくらい時間・費用が掛かったか
- 三条祭りはいくつかの団体によって運営されています。
祭り全体を取り仕切る八幡宮祭典委員会(はちまんぐう さいてんいいんかい)
大名行列の運営管理を行う三条祭り若衆会(さんじょうまつり わかしゅうかい)
先供を行う三条先供組合(さんじょう さきともくみあい)
導祖神を務める三条導祖神会(さんじょう どうそじんかい)
お囃子を担当する八幡宮囃子方組合(はちまんぐう はやしかたくみあい)
傘鉾を取りまとめる三条傘鉾振興会(さんじょう かさぼこしんこうかい)があります。
若衆会は1月頃から会議を重ね、3月頃から行列の参加者を募集し、役割毎に割り振り、5月の本番後、6月の反省会まで活動します。先供や導祖神、囃子方は、祭りの2週間前から練習を行います。また、導祖神になる人は、2週間前から2足4足(動物・鳥)の肉や卵、乳製品を食べず、また女性にも触れず、精進潔斎(しょうじんけっさい)を行い身を清めます。
- Q10. 三条祭りに関連している祭りはありますか
- 現在では、「三条祭り」というと、八幡宮の春季大祭のことを指しますが、以前の「三条祭り」は、5月15日の八幡宮の春祭り、16日の一ノ木戸神明宮の春祭りを総称して「三条祭り」と呼んでいたそうです。(近年の神明宮の春祭りは4月に行われています。)
また、明治から大正にかけて、現在の中央商店街は「三条祭り」になると一切仕事を休み、店先に家宝である屏風(びょうぶ)を飾り、家族はその屏風の前に座って御神輿(大名行列)を参拝するのがしきたりだったそうです。
これら一軒一軒に飾られた屏風を見て歩く風習もあったようで、「屏風祭り」と呼ばれておりましたが、昭和4~5年頃から屏風を飾る風景がなくなっていったそうです。しかし、平成14年から、この「屏風まつり」が復活し、今でも三条祭りと同じ時期に行われています。「丸井今井邸」や「かじまちの家」をはじめ、中央商店街、一ノ木戸商店街、東三条商店街、また下田地区など年々会場が増え、平成20年は16会場で30点余りの屏風を展示しました。
昔は、三条祭りになると親戚や知人を家に招いてご馳走を食べました。魚屋が各家庭を周って鯛を売り歩いたことから、「鯛祭り」とも呼ばれました。
三条祭り当日には、境内で「傘鉾コンクール」が開催されます。町内や団体、学生が作成した傘鉾が八幡宮の境内に飾られ、優秀な作品を表彰します。コンクールが終わった後、傘鉾は行列と一緒に巡行します。